のむヨーグルトが好きです

 

のむヨーグルトが好きでよく飲みます。ゴクゴク飲みます。セブンイレブンのカップに入ったもの、200mlも無いくらいのものは濃くて美味しいけどブルガリアの450mlのものと値段が一緒くらいなので、ついついブルガリアを選びがちです。たまーに気分が乗ったときに濃いものを飲みます。

他にもピルクルやヤクルトなど乳酸菌飲料の様なものが大好きです。

体に良い、悪いとかそういうのは全く気にしていなくてただ飲みたいから飲んでいます。

ヨーグルトも好きで大きめパックのものを1回で食べてしまうこともあってさすがに気持ち悪くなってしまったので買うことは控えています。いや小分けにして食べれば済む話なんですけど、1回開けたらできるだけ早く食べたいのです。

小さいときからあまり飲まないものはオレンジジュースです。果物があまり得意ではありません。生きててみかん剥いたことあったかな…。果物によっては口が痒くなったりしてしまうのですが、大抵は食わず嫌いです。果物がたくさん乗ったタルトは色とりどりでキラキラしていて見た目的にはキレイだなと思いますが食べたいと思ったことはありません。

こんなことを散々書いていますがりんごジュースは大好きです。よく行くチェーン店のカフェで一時期りんごジュースがメニューから消えてとても残念に思っていましたが、日曜日に行ったら復活していました。嬉しかったです。ありがとうございますという気持ち。ちなみにりんご自体はシャクシャクとした食感が好きではなく食べません。

果物が苦手なので飲み物やスイーツの選択肢が減ります。なんでも好きですって言ってる人は選択肢が増えて良いと思います。

何においても出来ることを増やすことは選択肢が増えるということだと思います。

話は変わって、生まれ変わったらなりたい飲み物、というか飲み物に人格があったと考えたときになりたい飲み物はのむヨーグルトです。のむヨーグルトは見た目が白くてまったりしていて、単純にそういう人間になりたいからです。

夏は日焼けをしてしまいます。私は肌が赤くなってホクロが増えてしまうタイプの人間なので年々ホクロが増えていきます。目の下にある小さい茶色い斑点たちはおそらくシミかと思います。中学時代は陸上部で外で活動していたのでそのせいかなと思っています。そばかすなら可愛いのにと思いますが多分これはシミです。その日組まれたメニューをこなして小休憩を取るたびに日焼け止めを塗り直していたので1ヶ月に何本も消費していました。いまも出来るだけ日焼けをしたくないです。外に出ないのが手っ取り早い方法ですがそういう訳にもいかないです。長袖を着て過ごせばいいかもしれませんがとても暑がりなので出来ません。肌が白いねと言ってくれる人がいると嬉しいです。しかし、もし日焼けしたら日焼けしたねと言われてしまうことが何となく怖くて頑張って日焼けをしないようにしています。日焼けしたって誰かから怒られるわけでもないけれど、そう言われることが怖いのです。多分周りからの目を気にし過ぎてしまうのだと思います。白いねと言ってくれる人を裏切ったような気になってしまうというか、白いねと言われると白くあり続けなきゃというような気持ちになります。もちろん強要されているわけではないことはわかっていますし、自分も出来る限り白くありたいのでいいのですが、なんとなく怖いのです。

家から駅まで徒歩3分程度、駅から学校までは横断歩道を渡るだけ、駅からバイト先までは歩いて5分程度。学校にいる日なんて朝から夜まで居続けるので陽に当たっている時間なんて本当に僅かだと思います。休日も特に出掛けたりしないので。

何に恐れているんでしょうね。あまり自分に自信が持てないからでしょうか。白いねと言ってもらえることが唯一少しでも認められているかもしれないところなのでそれだけは死守したいのでしょうか。

太陽の下でアクティブに遊ぶ人は素敵です。けど、私はそうなれません。多分日焼けをしたら物凄い自己嫌悪に襲われてしまいます。

明日もあまり気温が高くないようなので長袖で過ごせそうです。

 

来週が誕生日なのですが、メンタルクリニックに行く予定が入りました。多分それで終わります。産んでくれたことに感謝して、その日まで元気に生きていることで全てオッケーなのでしょうが、誰かに会いたいなあとも思います。人と触れ合いたければ渋谷あたりに繰り出せばいくらでも人と会話はできます。去年の9月、10月あたりはそんな生活をしていました。ちょっとお酒を飲んで適当に人と話して帰宅して。友達になった人もいましたが今では誰1人として会っていません。ワーワーと騒ぐ人たちもいればやりたいことがあるんだと言って人にお金を借りるような人もいました。結局、私にはよく理解できない人たちでした。別にその人たちが嫌いとかいうわけではなくて、多分考え方が違う人たちなんだなと思っています。理解しようとしていないわけではありません。何度か遊んだらもしていたし楽しいなと思っていたこともあったことは事実ですが、恐らく根本が違うようでした。

結局一緒にいてくれる人が欲しいんだろって言われてしまったらそこまでかもしれません。誰か頼れる人がいたら頼ってしまいがちな性格です。人が居てくれると安心します。自分から動かない限り人との出会いなんてなかなか訪れません。けど、ここ最近自分に起きていたことを考えると安易に人と仲良くしてしまってもろくでもないことが起きてしまうかもしれないと思ってしまいます。相手には失礼かもしれませんが人を見る目というものがあまり無いのかもしれません。そうであれば積極的に人と関わってそれを養っていくべきなのでしょうが、いまはそれが億劫です。優しいね、気が利くねと言ってもらえることがあります。人に嫌われるのが怖いのです。人に興味を持ってもらえなくなることが怖いのです。だから自分に出来ることはしなきゃ、自分を差し置いてでもしなきゃという気持ちになってしまいます。そして結局は限界を迎えて疲れてしまって1人になってまた寂しくなってしまいます。

幸せって何?ってよく思います。日本に生まれただけで幸せなんだよと言ってくる人もいます。確かにそれはそうかもしれませんがなんていうか…個人的に感じる幸せってそれぞれあると思うのです。私にとって何が幸せなんでしょうか。趣味・思考が近い人と話しているときは幸せかもしれません。欲しい服を選んで買っているときは幸せかもしれません。美味しいものを食べているときは幸せかもしれません。けど、それがなんなんでしょうか。自分でも何が言いたいのかよくわからなくなってきてしまいました、読んでいる人がいるかどうかわかりませんが、すみません、謝ります。

素敵な服を着て可愛い髪型をして隣には好きな人が居て、みたいな人は私からすると幸せそうに見えます。羨ましくて妬ましくて自分はああはなれないのかなあと悲しくなります。

多分こうやって悲観的になっているだけだから何も生まれないのでしょうね。わかってはいるのですが。

最近流行りのマッチングアプリ、やったことありますか?私はあれが物凄く苦手です。やっている人には申し訳ありませんが、出来る限りホーム画面に表示しないで欲しいと思ってしまうくらあです。端っこに置いておいてください。嫌いになった理由はまあ色々あったのですが、それだけ流行っているならと私もやってみたことはあります。男の人の写真が2択で出てきて好きな方を選んでいくというものでした。選んだ人が私を良いと思ってくれたらそこでマッチング成立、やり取りができます。何人かとやり取りはしましたが、なんだか虚しくなってしまいました。本気で出会いを求めていたわけでも無いので特にしたい会話もありませんでした。そもそも写真だけで人を判断して、みたいなものが向いていなかったみたいです。寂しい寂しいと思いながら生活している私でもこれはダメでした。むしろ寂しさを助長するだけでした。やっている人は、ゲーム感覚だよと言っていましたが、私はそんなゲーム別にしたくないです。

近所の徒歩1分程度のところに立ち飲みのバーがあります。月曜〜土曜は割と若いお兄さんがマスターで立っています。お客さんも若い方から年配の方まで様々。すぐ近くに人と話せる場所はありますが、そういうところに疲れてしまう場合が多くて2ヶ月くらい行っていません。

何でこんなに寂しくて充たされないのでしょうね。悲しくて何もしたく無い時間が多過ぎます。

ニコニコ明るくしてたほうがいいことあるよとよく聞きますし実際に言われたことがありますが、私は大抵困った顔をしているね、大丈夫?と言われてしまうことが多いです。頑張って人と話しているつもりなのに、つもりだけで結局できていないのですね。そもそも自分の笑った顔が好きではありません。笑った顔が素敵な人、羨ましいです。

 

おやすみなさい。