できることなら

 

できることなら私は物書きになりたい。

 

小学生の頃の夢は小説家、中学生の頃の夢は通訳、高校生の頃の夢は忘れたけど、カルチャーを学ぶような大学に行こうとしてた。落ちて、グラフィックを勉強した。デザイン楽しいし好きだった。言葉も重要だったから。いまは歯科医院で受付やバタバタと中のことをやっている。

 

 小さいときに絵本を読んでもらった記憶はあまりなくて、この絵本懐かしい!とか全然覚えていないんだけど、6歳くらいで渡された宮沢賢治の「蜘蛛となめくじと狸」という話が割と残酷で、そういう話を読んだことを未だに忘れられずにいる。

 

文字に触れる機会は多かったのかもしれない。使わなくなったワープロがどこからか突然現れて、これからはパソコンで文字を打てるようになったほうがいいとのことで、ワープロで日記を書いていた。もっと遡ると小さい頃はずっと日記を書かされていた。あと事あるごとに何か書いてた。この前、母方の祖母が亡くなったときに私が小さいときに書いて祖母に渡したらしい宮沢賢治の「アメニモマケズ…」の詩が一緒に棺の中に入れられていた。

 

やけに宮沢賢治に関わっているけれど、特に何かあったわけでもなく。けど私がよく過ごした部屋には祖母?祖母の父?とりあえず誰かが書いた「アメニモマケズ…」が貼られている。

 

祖母は字が綺麗で、私も祖母の先生から紹介されてた先生のもとで習字をはじめた。ちょくちょく賞などももらって、楽しかったなあと思う。教室内から選抜されて市の書初め大会に何度か出ていたんだけれど、大会方式がその場でみんな集まって床に座って書く方式で、運営がいつまでたっても進行が下手でイライラしてた気がする。書道は高校の途中でやめてしまったけれど、いまもう1回習いたい。

 

割と暗黒期である高校時代もまあガチガチの文系で理系科目が地を這っているような状態。通っていた高校は理数系推しだったけど、国語も難しかった、私にとっては。現代文大好き太郎、古文まあまあ好き太郎、漢文はほどほどに好き太郎。学校外の模試で1度よくわからないいい点数を出してどうしたのと驚かれた、確か。本当に勉強ができなくて、できなくなりすぎて追い付く気力も湧かずに数学赤点取りまくりの毎日を過ごした高校生活。修学旅行にノルウェイの森を持参するひねくれた性格。修学旅行後に書いた体験記はクラスの代表になって冊子にまとまった気がする、あんまりおぼえていないけれど。保健室の先生に面白かったよ、あなたが書いたのね、びっくりしたと声をかけてもらって嬉しかった。もう本当に大変を這いつくばって生活していて褒められることなんて何もない中で、その言葉をいまでも覚えているんだから相当嬉しかったんだろうな。

大学入ってから何か書いたかな…入学したときに何か書いてあなたのレポート面白かったとか言われたような気がする。たくさんの作品も文字に関するものが多かった。

で、いま。

なーんにも関係ない仕事。